人間関係の悩み解決カウンセラー長崎占い師・浦ひろこ

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#11 結婚生活で分かった夫の本性

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結婚して、暫くは子供も作らず

時間を気にしない生活をしたい❗️

よくそう言っていた私。

 

そこで、旅行に行こう❗️と言う話しになった。

 

友人達カップルも誘って、二組で行くことに。

友人達は直ぐにチケットも買っていた。

 

私達もチケットを買おうと、いろいろ調べている頃

私の体に異変を感じた。

 

第一子を授かっていました。

病院で相談しても

『まだ安定期じゃないからダメです』

そう言われ、旅行は友人達だけが行った。

 

 

産後、仕事復帰したものの

朝、7時前には家を出る毎日。

長男の離乳食が三回食になった頃に

私は、寝込んでしまった。

 

私の体の事も考えて、仕事を辞めることになる。

それから、8年ほど専業主婦が始まった。

 

長女が生まれてから

長女が夫になかなか懐かず、抱っこしても泣いてばかり。

 

『この子は懐かないから嫌だ』と

夕飯後は毎日のように、ゴルフの打ちっぱなしへ行く。

私は子供とお風呂に入り、寝かしつける時に一緒に眠ってしまっていた。

 

夜中に目が覚めると、夫は寝ていたけどテーブルの上は食器がそのまま。

起きた時に洗い物をして、また眠りにつく毎日だった。

 

3歳差で長女 4歳差で次女

3人の子宝に恵まれた。

 

長男は、ワンパク盛り。

悪さが酷い時、元夫の暴力が始まった。

 

私が、暴力に対して恐怖心を持っていることは

夫が一番理解していたはず。

 

『喧嘩はしない! だって、手が痛いだけ』

そんな事を言っていた夫。

 

でも、息子を殴る音は半端なかった。

 

娘達には、そこまでは無かったものの

投げ飛ばされたりはしていた。

 

子供達は、萎縮していくばかり、、、

 

夫は、私の意見なんて耳を傾ける事もない。

 

 

《夫に冷めた時》

二面性があり、外面は良く

夫が、嫌だと思わない相手には笑顔。

ママ友からは、

『優しそうだし、子供を怒る事もないでしょう?』

そんな言葉をよくかけられた。

 

うちの母には笑顔

父には、最初だけ笑顔

 

夫の実家に行った時

おばあちゃんが認知症を発症していた。

会うたびに進んでいく認知。

 

夫は兄弟がいるので

名前を間違えて読んでいた。

最初は、自分の名前を教えていたけど

認知が酷くなった頃から、無視するようになる。

 

その時、この人は私の両親や私に何かあったとき

どう対応するんだろう。

特に、父に対して苦手意識がある。

 

元気な時は

ばぁちゃん!ってよく話していたのに

こんなに変わるなんて信じられない気持ち。

 

将来への不安を抱えてしまった出来事になった。

 

5人家族の食事

子供が好きなメニューにしても

酒の肴は必ず必要だった。

汁物を入れて、毎日5〜6品は作っていた。

 

それでも、気に入らないおかずだと

殆ど食べず、お酒を飲み続けていた。

片付けるころに『ラーメン作って!』と…

 

モラハラ開始❗️

 

掃除も、出勤前に全て終えて

帰って、夫が帰宅する前にも掃除。

 

子供達が帰ると、遊びだすから

どうしても、散らかってしまう。

夫は、そのオモチャ散乱さえ嫌がってた。

 

その状態を知ってなのか

一日、家の半分ずつ掃除したら⁉️と言われ

それでいいのなら、楽になるし受け入れた。

 

ところが、その日掃除していなかった部屋を

ゴソゴソ拭いたりしている姿を見て

『今日は、その部屋はしない日だったよ』

そんな事も言えず、悶々としていた。

 

親切でしてくれていた!とも思えなかった。

 

結局、元の完璧な生活に戻ってしまった。

 

長男が、小学3年生のころ

地域のソフトボールクラブの見学に行き

一緒にプレーさせて貰ったことで、クラブに入ることになった。

 

毎日、親の見守りと

土日は、試合などの送迎。

 

父親は、塁審になることが多かった。

それでなのか、夫は試合に行かずパチンコ。

私は、まだ小さかった娘を連れて、毎週送迎をしていた。

中学でも部活に入った為、送迎は6年間続く。

 

 

長男の高校受験前、塾に通っていた。

倍率の高い課を第一希望にしていた。

長男の夢を実現するための進学。

 

塾の冬季講習で、合宿への参加依頼が届いた。

もちろん、息子は行きたい。

私も、ちゃんと勉強するのならいいよ!と言っていた。

 

しかし、夫の意見は反対。

『どうして、あんな皆が入れるような学校なのに、塾に行く必要があるのか!』と。

私は呆れたけど、

『倍率が高いから頑張りたい気持ちでしょ!』と

珍しく反発したけど、全く聞き入れない。

挙句の果て、『塾なんて辞めろ!』

 

息子は、反発したくても出来ない怖さが滲み出ていた。

 

夫も同じ高校を受験し、第一志望に落ち全く違う課に行っていた。

そんな矛盾を感じながら、夫と子育てでの意見の食い違いを思い知った。

 

 

話し合いも出来ない夫。

いろんな事が積もり積もって、何年かに一度の大爆発をしていた私。

私の存在は何? 

そんな気持ちが強くなった時に、私は自殺するために車を走らせたことがある。

さすがに、子供達を残して逝ってしまうことは出来なかった。

 

夫は何度も、自分も変わるから。時間はかかると思うけど。

そう言っていたけど、いくら待っても変わりはしない。

 

そこから、私は離婚を考え始めるようになった。

 

この時、私がカウンセラーだったら

どう対応しただろう。

 

今、拒絶しているせいか全く分からない。

 

ピエロのように明るくしていながらも

恐妻家になっていたら、、、

 

喧嘩が絶えない夫婦になっていたかもしれない。